KZくんの自画像
先日発売した雑誌『美術の窓』6月号に、画家の山本大貴くんとの対談が載っている。同級生・同窓生特集ということで、山本くんとは予備校・大学の先輩後輩という関係にあたり、彼からの指名でお呼ばれした。美術予備校・美術大学を卒業したとはいえ、それは漫画家を目指すための腰かけに籍を置いたもので、既に美術界隈から遠ざかって久しい人間が、絵について専門誌で語るというのは非常に体裁が悪く感じたが、現在の写実絵画界の第一線で戦い続けている正真正銘の画家・山本大貴のバックボーンを掘り下げる一助になるならと、快諾して対談を行った。対談自体は非常に楽しく、特に予備校時代のとりとめのない思い出話を延々と続けてしまったのだが、取材した編集の方の見事な手腕により、内容を損なうことなく綺麗にまとまった記事になっていたと思う。ゲラを頂いたとき、あんなに直すところが見当たらない原稿は初めてだった。
対談の際、山本くんは昔の予備校時代の絵のデータを今でも随分と多く持っており、MacBookに保存されたそれらを眺めながら話が弾んだ。卒業して20年以上経っていても、あの頃毎日眺めていた絵たちというのは深く記憶に刻まれており、誰がいつ描いた絵なのかがお互いスラスラと出てきた。この人は色づかいが本当に上手かったね、この人が最初にこの道具を使い出して、等々。そんな中で1枚、ひときわ目を引く絵があった。たぶんその絵のことを見るのは20年ぶりだったが、すぐに思い出した。それは、ある男子生徒の描いた自画像だった。
正面を向いた、若い男性の油画である。胸まで入る構図で、体は裸、やや肩を斜めに前後させており奥行きを感じる。パーマのかかった髪型、細い銀縁の眼鏡、イケメンと言っていい整った顔立ちだが、その表情には作者本人の生真面目さ、真摯さと、そして若者特有の茫漠とした不安が滲み出ていた。背景は真っ青な快晴で、その下に様々な動物や植物──おそらく本人の好きなものなのだろう、それらが並び立ち、さながら楽園のような様相を呈していた。驚くべきはその描写力で、真に迫るものがあり、肌や肉、その奥の血管や骨格を感じるほどリアルで、美術館で見たことのある一流の画家たちの肖像と比べても、何ら遜色のない出来だと感じられた。サイズは確かF30で、受験用のサイズ(F15)より大きかったはずだ。それを描いたとき、予備校生である作者は、せいぜい二十歳かそこらの年齢だったと推測する。
その作者──仮にKZくん、としよう──は、僕が美術予備校に入ったとき、すでに予備校にはいなかった。さりとて、どこかの美大に合格したわけでもなく、何浪かした後、予備校を去ったという。誰も消息を知らず、ただこの自画像一枚だけが『参考作品』として予備校に保存されていた。美術予備校には『参作室』と呼ばれる過去の在校生の作品を保存している部屋があるのだが、そこに保存されているどの絵よりも、その一枚は際立って見えた。なのに、その作者はどこの美大にも進学することなく、行方知れずとなってしまっていた。
山本くんともこの絵についての話で盛り上がったが、翌日、同じく予備校で一緒だった画家の瓜生剛の個展を観に行き、そこでもまた、この絵のことについて話した。彼もKZくんの自画像のことはよく覚えていた。圧倒的な描写力を持ちながら、合格することができず予備校を去った、会ったこともない(イケメンの)先輩。
「何で受かんなかったんだろうね、あんなに凄いのに…」
「KZくんはねぇ…たぶん、絵を描きあげることが出来なかったんじゃないのかな」
瓜生は、こう漏らした。彼は藝大を出ており、助手や予備校講師の経験もある。さまざまな生徒を見てきた上での推測だろう、その言葉には幾らかの説得力があった。
美術大学の受験では、大学にもよるが、おおむね1日から2日、6時間から12時間で1枚の絵を完成させることを要求される。学校の美術の授業で1ヶ月も2ヶ月もかけて絵を描いたり、美術部で半年ほどもじっくりと作品制作に取り掛かっていたような高校生が、いきなり何も知らずに美大受験をすると、まずこの時間の差に唖然とし、やられる。木炭画にしろ油画にしろ、6時間で1枚の絵を仕上げろというのは非常に困難で、それ相応の訓練を受けない限り出来はしない。だからこそ美術予備校の出番となり、講師たちから短時間で絵を描く様々なテクニックと受験ウケする絵の方向性を教わるのであるが、これに素直に適応できる生徒と、そうでない生徒がいる。適応できる素直な生徒は講師から教わったテクニックや傾向をそのまま取り入れ、短時間で受験ウケする絵を完成させる技術を得て、ストレートに大学受験に合格する。いっぽう、適応できない生徒は、考えてしまう。考えてしまうのだ。
絵とは何か。本当にその絵の描き方でいいのだろうか。自分はどんな絵を描きたいのだろうか。目の前にあるモチーフを、最も美しく描くにはどうすればいいのだろうか? そういうことを考え、悩み、モチーフをじっくりと時間をかけて観察し、キャンバスと現実の世界を行き来し、少しずつ正解を探し、時には大きく後戻りをし、そうして描きあげていくのが絵というものだ。だが、そうした「正しい」絵の描き方をしていては、受験では時間が足りず、まず合格できない。真摯に絵と向き合う者ほど、不合格になってしまうのが現在の、短時間で描かせる受験システムなのだ。特に僕たちのいた、油絵具を使う油彩絵画というジャンルは、絵具の乾燥が遅く、薄く透明な絵具を何層も塗り重ねて重厚な質感を出せるのが特質なのだが、受験絵画においては(よっぽど特殊な油や乾燥剤を使わない限り)そうしたテクニックは使い物にならない。ここでも正道の、正しいテクニックを持ったものほど、ふるいにかけられ落とされてしまう。
この受験システム自体を否定する気はない。短時間での試験になるのは様々な事情あってのことではあるし、自分もそのシステムに迎合し合格した人間なので、それをとやかく言える立場にはない。ただ、画家としての正しい資質を持ちながらも、その資質の真摯さゆえにこうしたシステムに乗っかれなかった生徒は、美大受験から弾かれてしまうことがある。件の、KZくんもそうした生徒の一人だったのではないかと推測する。KZくんの自画像、あの絵は予備校の休暇期間の課題として描かれたもので、おそらく1〜2週間はかけて描いたものだろう。だいぶ短い日数だが、それでも受験の6時間よりは遥かに長い。十分な時間をかければ美術館に飾られてもおかしくないクラスの絵を描ける若者が、しかし短時間の受験テクニックには適応できず、美大に合格できないということが、往々にしてあったのだった。
あれから20年近く経った現在では受験の裾野も広がり、美術大学も増え、少子化も後押しして難関と呼ばれた藝大・五美大の倍率は大きく下がった。どこでもいいから美術大学に行きたい、というだけならば、そう難しい話ではないように思う。また、美術大学に進学せずともその後、画家やアーティストとして活躍している人も、自分の同級生だけでも何人も居る。KZくんの現在は知る由もない、絵を描いているのか、描いていないのかも全くわからない。ただ、あの見事な自画像だけは、おそらく今も美術予備校の参作室に眠っており、たまに覗きに来た若い受験生に強い衝撃を与えているはずだ。圧倒的な描写力で描かれた、真摯で繊細で深い不安を抱えた、あの眼差しのそのままで。
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