夜の図書室

先日、白土三平氏が亡くなった。氏の代表作といえばやはり「カムイ伝」であるが、自分がこれを読んだのは高校生のころ、夜の図書室でアルバイトをしていた時分だった。


通っていた公立高校は生徒のアルバイトを禁止していたが、唯一の例外があり、それが「夜間の図書室の管理」であった。この高校は定時制も併設されており、夜間に教室その他の施設を定時制の生徒が使用するのだが、司書の先生は夕方には帰ってしまい、その後も図書室を管理し貸し出しや戸締まりなどの業務を行うのは全日制の生徒のアルバイトとなっていた。しかし実際のところ、定時制の生徒はほとんど全く図書室を利用せず、主に図書室を利用しているのは受験勉強を控えた全日制の3年生であり、アルバイトの仕事も彼らの夜間利用許可証をチェックすることが本筋だった。


2人交代制なので週に3日ほど、夕方の5時くらいから8時までだったと思うが、図書室のカウンターに座って好きな本を読んで過ごし、時間になったら戸締り消灯をして帰ればよかった。給金は、なんと月額制で1万円がもらえた。高校生の時分の1万円というのは相当な大金で嬉しかったし、そのお金で当時最新式のエプソンのプリンターを購入し、漫画同人誌の制作に役立てたりもした。またこのアルバイトはさらに「まかない」付きで、アルバイトの日には定時制生徒用の学校給食が1食、特別にふるまわれた。学校内の設備で作られた給食はなかなか美味しく、また食費も浮くので親も喜んでいた。


このバイト中の夜の図書室で、さまざまな本を読んだ。前述した「カムイ伝」も、分厚い全4巻の愛蔵版が置いてあり、何日もかけて読破した。最後に全てがめちゃくちゃになってしまったあと、ナレーションで「この物語のテーマは未だ描かれていない」と語られていて(うろ覚え)痺れた。これだけ長大かつ重厚な物語を描いておいて、まだテーマすら出てきていないのか。カムイ伝のほかに「オルフェウスの窓」なども読んだし、漫画以外にもたとえば「万国奇人博覧館」なる本は、世界中のさまざまな奇妙な人々……いっけん、普通の市民のように思えたが、死後に自分の切った爪や髪の毛を全てラベル付けして保存していたのを発見された男など……を山ほど紹介している本で、非常に面白かった。ギネスブックもある年のものが1冊置いてあったので読んだが、こんなにもマニアックな世界記録もあるのかと驚いた。


また、図書室には置いてはいないのだが、図書委員会の委員会室には最近の漫画や雑誌なども置いてあり、月刊アフタヌーンのバックナンバーを読んで見つけたのが「大日本天狗党絵詞」だった。すでに黒田硫黄はコミックキューに掲載された「あさがお」を読んで「すごい作家がいたもんだ」と知っていたが、そのデビュー連載の天狗党はもはやどこの本屋にも置いていなかった。バックナンバーで読んで「これは絶対読みたいなあ」と思っていたころに、思いがけずワンダーフォーゲル部の遠征で訪れた長野駅前の本屋で天狗党が全4巻揃っているのを見つけ、なけなしの小遣いで買って帰ったのをよく覚えている。


アサヒグラフなどの写真雑誌もずいぶん読んだ気がする。進路を美大に決めてからは、こうした写真雑誌を見て気に入ったものをスケッチして、構図などの勉強をした。また同人誌の漫画原稿もこの図書室で描いたこともあった。水没したベネチアの街並みをちまちまと描いたが、こうした地道な作業も捗る空間だった。


この図書室のアルバイトは、どうも自分たちの代で無くなってしまったらしい。全日制の生徒が図書室で居残り勉強できなくなり、それを管理する必要もなくなったようだった。全日制の生徒が居座っているから定時制の生徒が図書室を利用しづらいのではないのか、という意見が出たのかもしれない。たしかに、自分がアルバイトをしていた1年あまりで、本を借りにきた定時制の生徒は1、2人しかいなかった。そのうちの1人はなかなかセンスの良い海外作家の短編集を借りていって、へえ自分も読んでみようかななどと思ったまま、もう20年以上の時が過ぎてしまった。

ジゼルとエステル

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