プラットホームにて(7月22日 雲)
内海隆一郎の『遅咲きの梅』という小説を読んだ。ふだんはハードカバーの物理的な大きさが苦手で文庫しか読まないのだが、これは文庫化されていないので、ハードカバーのものを古書店から取り寄せて読むこととなった。有名な著者らしいのだが、あいにく自分では一切読んだことがなく、ではなぜ取り寄せたのかというと、知っている人ならピンとくるであろう「ある疑惑」を確認するためである。二十一篇からなるこの小説の「プラットホーム」という章がそれなのだが、その部分も含めて全て読了したところ(ああ…それはなあ…そうなるわな)という、何とも言えない気持ちにさせられた。いっぽうで、長年の疑問がほんの少しでも解消されたとも思った。この小説自体に問題があるわけではなく、そこから派生した作品が孕む問題なのであるが、それについては別の所に書くことになっているので、これ以上は触れないことにする。
さて、その問題は抜きにして、この内海氏の『遅咲きの梅』というのは非常に面白く、それなりの分量があるにせよ一気に読んでしまった。内容は氏の自伝的なものであり、1958年に東北から上京してきた「私」が、様々な人々と関わりながら暮らしていく青春物語である。安保闘争の真っ只中に、お金もなく恋人もなく、刻みキャベツを入れたラーメンを主食とし、工事現場で働きながら再び大学に入ることを目指し日々を暮らしていく若者の物語……などと書いてしまうと我ながら陳腐な紹介になってしまい申し訳ないのだが、これが実に面白い。嫁に行き遅れながらも自分の洋裁店を持ち日々ウェディングドレスを縫う年の離れた姉、東大に四度も落ちながら東大生のふりをして名曲喫茶で洋書を読んでいる真似をする友人、足が悪くめったに姿をあらわさないがアニメのセル画塗り仕事の名手であるアパートの人妻など、印象的な人物が多く、何より主人公の先輩であり後に同居人となる「吉川」という人物が非常に良い。また、文章も必要以上に過剰な描写や難解な言葉を使うことなく、それでいて読んでいて情景がすぐ浮かぶもので、いわゆる「研ぎ澄まされた文章」というのはこういうものかと感心した。思わぬところで良い作品に出会えたものだ。本書はダイナースクラブカードの会員誌に連載されていたといい、自分にはまったく縁のない媒体だなと思いつつも、月に一回このレベルの文章が届くというのは、それはちょっとした愉しみだったのだろうなと想像する。
主人公と吉川先輩のご馳走が、とっておきの鮭缶と刻みキャベツをよく混ぜて醤油をたらし熱々のご飯に乗せて食べる、というもので、材料からだいたい味の想像がついて(そこまで美味しいものでもないだろう、まあ当時だからな…)と思いながらも、文章を読むと腹が減り食べてみたくなるのである。今度つくってみるべかな…。
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